2009年11月01日

さよなら朝日橋

こんにちは!戸井田とおる事務所です!
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10月31日 姫路

今年も残すところ、あと2ヶ月となりました。




姫路市はJRの線路で街を北部、南部とわけるわけですが、その南北をつないでいた朝日橋が10月31日で半世紀の歴史に幕をとじることになりました。姫路の南部へ行くときは、小坊主もよくこの橋を渡りました。

最後というわけで、お昼に写真をとってきました。



6年前の後援会報を読んでみると、姫路駅高架について戸井田はこんなことを書いていました。

(以下、記事を抜粋)

振り返ってみると、今から30年以上も前の事になるのだが、時期的なことは定かではないが、その時のことは今でも覚えている。目白の田中邸は、まだ朝7時だというのに陳情客で一杯であった。この頃、田中角栄さんは毎朝目白にある自宅に併設された事務所で、全国からやって来る多くの陳情をさばいていた。

(中略)

目白の田中邸を訪れたのは、私の父、戸井田三郎とその時の姫路市議会議長であった。広い応接間に通されると、大きなテーブルの端に、田中角栄その人が座って居て二人を迎えた。挨拶もそこそこに座るなり、テーブルの上に、秘書さんによって姫路市の中心市街地の地図が広げられた。田中角栄さんは、地図に赤鉛筆でサーッと線を引いた。良く見ると、田んぼの中にその線は引かれていた。田中さんは、「駅を500メーター程、南に移せば10年で出来るぞ。同じだと20年か30年、ひょっとしたらもっとかかるかも知れんな?」と言っていた。

(中略)

時間にして十分に満たない僅かな時間であったが、重い課題が突きつけられたような時間であった。

(中略)

今の、高架化事業の進歩状況を思うと田中角栄氏の構想が実行されていたら、移転していたら、駅と軌道敷の跡地に道路ができていたら・・・。(当時)もっと、詳しく聞けばよかったと思うが、田中角栄の辞書には、やるかやらないかの決断が先であって「幻のタラ」を追いかける時間はなかった。

(注釈: 結局、姫路駅の高架は移さずに行うことになった)

(中略)

新しい何かを掴もうと思えば、今手に有るものは放さなければ、新しい何かは掴めないのである。
(抜粋、おわり)

2009年10月末、父の戸井田三郎と市議会議長の陳情から30年以上がたった姫路駅周辺。11月1日早朝、新しくできた道を出勤前に車で走ってみたのですが、朝日橋で迂回をしていた道路が一直線になり、南北のアクセスが・・・実際は大渋滞のようです。これから姫路駅、駅前周辺の様子もどんどん変わっていくことでしょう。



変わりゆく駅東側です

公共事業=悪いイメージ、お金の無駄遣い というのが世間一般にあるようですが、本当に必要なものは作るべきだと思います。それから、「小坊主日記」で以前とりあげた播磨臨海地域道路。姫路と播磨地域の活性化、産業の再興、物流と雇用の促進をはかるべく、姫路市と戸井田がこの道路の建設に尽力してきたのですが・・・。政権が変わっても、計画は実行していただきたいものです。

播磨臨海地域道路網協議会ホームページ
http://www.harima-rinkai.jp/

姫路駅周辺整備室(姫路市役所のホームページ)
http://www.city.himeji.lg.jp/s70/2212598.html


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戸井田とおる事務所(姫路)より更新
文責:小坊主A

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Posted by marubose at 11:34Comments(0)その他 (姫路)