2010年10月23日
全国戦没学徒追悼祭
こんにちは!戸井田とおる事務所です!
いつも小坊主日記をご覧いただき、心より感謝いたしております。
10月21日に南あわじ市、若人の広場で開催された「全國戰歿學徒追悼祭」に戸井田の代理で参加させていただきました。あいにく、当日は風の強い、小雨がパラつく天気でした。若人の広場の存在は友人から耳にしたり、報道で知ってはいましたが、実際に訪れたのは初めてでした。参拝する人もほとんどおらず、管理施設も閉鎖されて荒れていると聞いてはいたのですが、到着して会場にむかうと震災の影響でしょうか、途中でも石段が凸凹で高く積み上げられた石垣には崩落防止のためと思われる金属製のネットがかけられていました。
記念塔の写真です。式典が開催された広場から50メートルほど離れたところにそびえ立っているのですが、ところどころ亀裂が入っている上に場所柄、潮風のきつい所に建っているので早急の補修が必要だと感じました。
記念塔の台座部分です、ここに建設当初は「永遠の灯火」が灯されていたのですが、その火は絶えたままです。2005年に一度だけ、戦後60年を機にこの台座部分を修理し広島の平和の灯火を運んで点灯式が行われたとのことですが、また常時灯火が灯ることを願うばかりです。
式典では海上自衛隊の方が「國の鎮め」「悲しみの譜」「水漬く屍」を演奏されました。追悼祭は全國戰歿學徒を追悼する會の主催で行われ、厳粛に執行われました。
普段は立ち入ることのできない、資料館・記念館跡の内部です。パッと見ると普通のドアなんですが、ガラスはありません。閉鎖された施設というより廃墟です。
展示物が一部残されていました。手前の支柱に戦没学徒の遺品である鉄兜が掛かっていたと思われます、後ろにはその持ち主の遺言らしき言葉が書かれていました。多くの展示物は、閉館後、地元の図書館に保管されていたそうですが、現在は立命館大学で管理されているとのことでした。
昭和42年の建築当時からお世話されている方がお話しているのを傍で聞いていると、建築された当時は、大勢の参拝客や観光客で賑わい、慰霊祭に現在の天皇皇后両陛下(当時は皇太子殿下、皇太子妃殿下)がご来臨になったこともあるそうです。しかし、年々訪れる人も減り、建築当時の関係者の多くも鬼籍に入ってお世話する人が減り、とどめのように阪神淡路大震災の被害を受け、閉鎖されてしまったとお話されていました。
追悼祭をするようになってからは草刈や掃除をして、閉鎖されているとは言え、参拝できる環境になったそうですが、それまでは背丈ぐらいの草が邪魔して慰霊碑までたどり着くのも大変だったと仰っておられました。
主催者のご挨拶の中で、今年の追悼祭は新たな第一歩を踏み出す追悼祭だというお話がありました。というのも、今年5月に南あわじ市が建物と土地を購入して公園として整備する方針を打ち出したからです。慰霊碑の台座にこんな言葉が刻まれていました「若人よ天と地を結ぶ灯たれ。」おそらく天におられる戦没学徒の御霊は、この若人の広場に日本を背負う若い青年が訪ねてくることを待っているのでしょう。近い将来、天の御霊と地の若者が灯火を通じて心を通わす、風光明媚な慰霊施設となるようお手伝いさせていただきたいと思います。(文責:子坊主)
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記念塔の写真です。式典が開催された広場から50メートルほど離れたところにそびえ立っているのですが、ところどころ亀裂が入っている上に場所柄、潮風のきつい所に建っているので早急の補修が必要だと感じました。
記念塔の台座部分です、ここに建設当初は「永遠の灯火」が灯されていたのですが、その火は絶えたままです。2005年に一度だけ、戦後60年を機にこの台座部分を修理し広島の平和の灯火を運んで点灯式が行われたとのことですが、また常時灯火が灯ることを願うばかりです。
式典では海上自衛隊の方が「國の鎮め」「悲しみの譜」「水漬く屍」を演奏されました。追悼祭は全國戰歿學徒を追悼する會の主催で行われ、厳粛に執行われました。
普段は立ち入ることのできない、資料館・記念館跡の内部です。パッと見ると普通のドアなんですが、ガラスはありません。閉鎖された施設というより廃墟です。
展示物が一部残されていました。手前の支柱に戦没学徒の遺品である鉄兜が掛かっていたと思われます、後ろにはその持ち主の遺言らしき言葉が書かれていました。多くの展示物は、閉館後、地元の図書館に保管されていたそうですが、現在は立命館大学で管理されているとのことでした。
昭和42年の建築当時からお世話されている方がお話しているのを傍で聞いていると、建築された当時は、大勢の参拝客や観光客で賑わい、慰霊祭に現在の天皇皇后両陛下(当時は皇太子殿下、皇太子妃殿下)がご来臨になったこともあるそうです。しかし、年々訪れる人も減り、建築当時の関係者の多くも鬼籍に入ってお世話する人が減り、とどめのように阪神淡路大震災の被害を受け、閉鎖されてしまったとお話されていました。
追悼祭をするようになってからは草刈や掃除をして、閉鎖されているとは言え、参拝できる環境になったそうですが、それまでは背丈ぐらいの草が邪魔して慰霊碑までたどり着くのも大変だったと仰っておられました。
主催者のご挨拶の中で、今年の追悼祭は新たな第一歩を踏み出す追悼祭だというお話がありました。というのも、今年5月に南あわじ市が建物と土地を購入して公園として整備する方針を打ち出したからです。慰霊碑の台座にこんな言葉が刻まれていました「若人よ天と地を結ぶ灯たれ。」おそらく天におられる戦没学徒の御霊は、この若人の広場に日本を背負う若い青年が訪ねてくることを待っているのでしょう。近い将来、天の御霊と地の若者が灯火を通じて心を通わす、風光明媚な慰霊施設となるようお手伝いさせていただきたいと思います。(文責:子坊主)
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Posted by marubose at 22:40│Comments(0)
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